インタビュー / 中野幸英

好奇心をいろいろ引きずり出される感じ

写真に取り組まれた経緯を教えて下さい。

 中野:僕が中学から大学生にかけて近くで幾つかの写真展があったんです。川崎市民ミュージアムの「現代写真の母型」展 *、ルイス・ボルツ展* 、ベッヒャー展* 、Bunkamuraで観たピューリッツァー賞展 *。どれも自分にとっては写真を観る体験としては衝撃的で、中学でルイス・ボルツはお化け屋敷だし、高校生でベッヒャーは少し難解すぎたんですけど、ピューリッツァー賞展での写真を観る醍醐味が強烈でした。
 十代の頃で独りで写真を撮っていた自分には、どれも写真を見る楽しみを植え付けてくれた展示です。 後に、早稲田大学第二文学部で担当になった平木収さん *がたまたまいずれの写真展にも少なからず携わっていたと知りました。その平木さんの授業は座学のみで、最初に扱ったのはテキストはW.ベンヤミンの「写真小史」* でしたね。

当時は、写真を学ぶ際に「写真小史」がポピュラーに使われていたのですか?

 いや、絶対違うと思いますね。確立されてなかった事を独自にやっていたんだと思っています。写真をアカデミックに学ぶことは自分のもう一つテーマでもあるんですけど、やはり段階的な学習方法や、その目的、他の媒体と違う点など、写真を見るという視点について順を追って解明しなければいけないことが多すぎる気がします。

写真にはどんな魅力があったのでしょうか?。

 物心ついてない時に写真をやったら、自分が物心ついてないのが分かっちゃった。自分の底の浅い所がもろ見えになった所も悲しくて面白かった。だから全部、好奇心を注いでも足りないぐらい奥の深さを感じてしまったのだと思います。

誰かに写真を見せたり、写真について話すことはありましたか?

 学生の頃は全く関係ない人に写真を見せるのが当然でした。例えば、高校での展示は一人だけの個展だし、大学では総合大学の中央にある演劇小屋で展示するので、そもそも興味のない大勢にいかに写真を見る楽しみを伝えるか苦心したし、工夫もある程度試せていました。自分で学生主体のワークショップを始めたり、写真学校(東京工芸大学芸術別科)にも行き、同年代同士でもなにか模索ができるのか、などといろいろ首を突っ込んでいました。

総合大学で様々な知的な領域から写真にアプローチしていく事についてはどのように考えられていますか?

 写真自体のメカニズムを学ぶというのは、逆にメカニカルではない好奇心をいろいろ引きずり出される感じでした。それが果たして自分の撮る写真にどう繋がるかは全く見えませんでしたけど、写真を見るのは格段に楽しくなりました。
 おかげでメッセージや撮影者の姿勢を読み取ることに夢中になれたし。逆に観客が自分の写真展示に素通りしてしまうのを目の当たりにしたり、自分の作品を観ている人をじっくりと眺めることもできました。

何か関連するエピソードはありますか?

 飛行機が着地する所と、飛び立つところを昼間と夜で分けて連写で撮ったんです。W.ティルマンスが「Concorde」 *を出して間もない頃で、コンコルドじゃなくセスナで、ティルマンズでなく自分が撮ったらどうなるかと試してみたんです。でも見る人によっては、ただのモータードライブ連写じゃないかと言う人もいれば、感傷的な感覚を覚えたとアンケートに書く人もいる。その共感したときの喜びみたいなものが今も残ってます。


感覚をダイレクトに伝えることしかできない

「フォトグラファー」になった経緯についてもお伺いできますか?

 仕事として写真を学ぶことは思った以上に奥深いものでした。段階的にいえば独学の高校と、大学で平木さんの座学、そして写真プロダクションで広告の最前線の現場を見ることになりました。勤めた写真プロダクションがデジタルバッグを、2004年当時先鋭的に取り入れていたんです。
 座学と広告の最前線の現場、両極端を見ても写真は感性のみで作られていて、でなければ数多あるグラフィックや映像の中に埋もれてしまう、という実感を得ました。「そもそも感覚をダイレクトに伝えることしかできないメディアである」という僕の写真への認識です。そこからようやく自分の活動を視野の中心に入れました。

デジタルによってそれまであった写真の見方に変化を感じていますか?

 とても感じています。映像自体が、プライベートな映像ですらとても軽んじられるようになったんじゃないかと思います。以前は、8mmで映像を残すのが一大イベントで、記念写真も凄く仰々しい儀式だったのが、今では軽んじられちゃいます。だからこそ、作品は目的のためにわかりやすくならないといけないし、仕事はもっと違いを出さないといけないと感じています。

それは、写真が残ることによって自然と価値を持つことがなくなり、写真作品を別の価値から考えなければならないということでしょうか?

 思っています。他のメディアとも勝負しなければいけない。だから映画と勝負という事を本気で考えているし、同じような考え方で言うとCGの3分作品と比べることができます。作品としても、娯楽としても。
 印刷物は写真としては拡大した媒体でした。この十年でデータ化やディスプレイ上、安価なインクジェット印刷と、写真作品は定型の媒体を改めて離れているのに、未だ印刷された写真は二次的な見せ方であると考えられやすいと思います。素材として、もしくは複写された図録のように変な距離感を持ってしまうような。
 写真自体に大きな価値を持たれなくなった今、より明確に写真作品を見せる意志を、写真集という形態自体に持たせてみたいと今回は考えました。

詳しくお伺いできますか?

 印刷媒体は写真を見せるのに安価で流通できる優れた部分があって、見方の自由度でみても、こんなフレキシブルなメディアってないなと思います。手にとって、物としての感覚があるのに、時間や場所の制約から離れています。
 自由度が高い分複合的な工夫が必要です。印刷文化や技術の優れた国と町で、いま小規模でも1から写真作品の企画本を作れば一体どうなるのか、という意識があります。


vol.1「人間」より

実体を持つ写真を今残したいです

        *このインタビューは2011年5月vol.1「人間」出版後行われました。

ブレストvol.1において、中野さんはどのように「工夫」を実践されたのでしょうか?

 顔はあまり見たくないかもしれないけど、見たくなってしまうものです。ページを開いてド真ん中に顔があるという事は、眼を無意識にそらしてしまうぐらい見る人にはすごい衝撃です。その後で像の中に見方のルールを探せる。顔だけを撮るようなことではなくて、その人の一番印象に残る、その人の生きている周辺を出すために、あえて窒息してしまいそうな状況の中で撮影をしました。
 こう言うと震災があったばかりなので不謹慎だと思われてしまうかもしれませんが、他人でも生きるか死ぬかという時は、見ている側でも反応してしまいます。 そうすると色んなものを見てしまうと思うんですよ。一瞬の内に。その過程を体験する作品にしたかった。

今回、ブレストVol.1で与えられたテーマ「人間」についてはいかがでしょうか?

 他の動物じゃなくて、人間だから同じ種を区別できるのであって、その能力を証明してテーマへの応えにしたかった。同じ種だから意図的に他人を普段無視しますが、本当は無視できない存在だと思うんです。本来その無視の対極にあるのが写真作品だと思います。

「無視の対極として写真により人間と関係を考える」ということを今改めて再考しなければならない状況があると考えているのですか?

 先ほど言ったように写真は錯覚の道具であって、そこをうまく使った作品でなければ、写真である必要がないと思うんですね。個体の感覚というもの自体を、ふだん情報媒体の中で抽出したり認識する必要を感じていますし、写真で本来得られる錯覚は無視の対局になり得ると思います。

その差異についてもう一歩お話伺えますか。

 私たちは感覚自体を認識しづらい。自分がいま何を考えているか、何を感じているかと言う事をリアルタイムで残すことは不可能に近い。けどそれが可能であることを指し示す実体を手に取れて、脳分泌としても体の反応が呼び起こせる。それが写真単体で可能であるところに魅力があります。だから媒体が実体からどんどん離れていく中で、実体を持つ写真を今残したいです。

肉体的な反応があると。

 そうです。展示作品が空間を媒介とするなら、さらに写真集は手を媒介とするのではないかと思うんです。場所をすっ飛ばして没入できる。その意味では写真集は見方のサイクルがとても生活に適応していると思いますし、それを前提にしています。


vol.2「光」撮影現場にて

では、次回のvol.2に向けて。この2ヶ月の間に震災と原発の影響などにより、様々な視線が変わったようにも感じます。現在、中野さんが考えてられている事を少し教えて頂けますか?

 行動というものは勇気によって成り立つんだなと感じています。この数ヶ月縁あって震災ボランティアの人たちを多く見てきて、とても不器用な人も多いし、自分のために行っている人、迷いながらの人も多いんですけど、彼らの側で、行動というものにはいちいち勇気が必要なんだと感じたんです。
 やはり人間は怖がる。実体も見てない対象に。そんな中で勇気を持って行動すると、多くの解決と価値ある感覚に繋がっていく。それを眼にすることができました。自分にとって写真をそう機能できればいいと思います。

それは「怖さ」を異なる物に転換することですか?

 いや、怖さの先に何かが待っているという実感を作品で伝えられないかということです。怖い思いをしないですむよう、対象なく不安になる生き物が人間です。その精神的な不安をどうやって解決するかというと、一番早いのが対話だと思います。会話やテキストデータでない対話の方法を、写真作家として提供出来るんだと、この数ヶ月感じています。

 

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中野 幸英  NAKANO Yukihide  

1978年 神奈川出身 
早稲田大学第二文学部卒業 / 東京工芸大学芸術別科修了
在学中に学生主体の写真ワークショップAg_textsを主宰。
写真プロダクション修行の後、2004年よりフリーフォトグラファーとして製作活動。
http://www.skylab.jp/

 

*1 「Matrix of Photograpy 現代写真の母型展」(川崎市民ミュージアム、1991-93)

*2 「ルイス・ボルツ 法則」(川崎市民ミュージアム、1992)

*3 「ドイツ現代写真展 遠・近  ベッヒャーの地平」(川崎市民ミュージアム、1996)

*4 「ピューリッツァー賞写真展」(Bunkamura等、全国各地を巡回、1998)

*5  平木収(写真評論家、1949-2009)川崎市民ミュージアムにて日本初となる美術館写真部門発足時の学芸員を勤める。早稲田大学、武蔵野美術大学、九州産業大学、東京総合写真専門学校などで教鞭をとる。「写真のこころ」(2010、平凡社)

*6  Walter Benjamin「Kleine Geschichte der Photographie」(1831年発表、「図説 写真小史」久保哲治翻訳、筑摩書房

*7  Wolfgang Tillmans「concrde」(1997、Walther Konig)

 

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11.05 BRAINSTORMING 中野幸英インタビュー

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