インタビュー / 柿島達郎

人体は束縛されてるって思ってた

写真に携わったきっかけとフォトグラファーとして活動されるまでの経緯を聞かせて下さい。

 柿島:じいちゃんが死んだときに形見の一眼レフを譲り受けて、学校の友人を撮るとか、学校生活を撮ったりしていました。 それを友人にみせたり、あげたりしてました。一眼の50㍉で明るいレンズだったから、使い捨てカメラがあたりまえな高校生には評判がよかったんです。
あ、写真ってこんな喜ばれるんだなって感じました。


 そんな程度の認識で美大に入り、服飾デザイン学科だったんですけど、在学四年間のうち2年間は一生懸命に服を作ってたんです。それで誰かに服を着せて写真を撮るうちに、「あ、写真の方が表現に制限がない」と思った。
 僕の大学には、在籍していた学科とは別のビジュアルデザイン学科に暗室があったもんですから、そこに籠りきりで。おかげで卒業制作審査では落とされちゃいました(笑) 苦い経験でしたね。

どういう作品を出されようとしたんですか?

 長辺1メートル、短辺70センチぐらいの大理石を四枚ほど購入して、大理石を印画紙代わりにして、それに裸体を焼き付けて。そしたら「うちはファッションデザイン学科だからダメです」って。結構良かったんですけどね〜(笑)残念ながら。

 その作品ではどのような事を考えられていたのですか?

 当時はファッションデザインを勉強してましたから、写真の歴史は全く知りませんでした。でも、どんなものでもエマルジョン(感光材)を塗れば印画紙代わりになると聞き、自分も好きな素材に好きな人物を写してみたら面白いんじゃないかと思って。人体は束縛されてるって思ってましたし……格好つけてたんですかね(笑)その束縛状態を打破できるんじゃないか、何に人体を写しても良いんじゃないかって。

そこから、写真対する興味が上昇していったわけですね。


 そうですね。その時の担当教諭に「石を使うからダメなんであって、普通の印画紙で出せ。卒業できないぞ。」と言われました。それで普通の印画紙で出したんですけど、とにかく元の考えは変えたくなかったんで、多重露光で身体の色々なパーツを石とかに置き換えて……

モンタージュですね。身体のシルエットに様々なイメージを使い服を着せた。


 そうです。ボロカスに言われながらも卒業できて、2001年のK MOPAのヤングポートフォリオに出したんです。そこで買い取ってもらいまして、ほら見たことか!と(笑)
 そこでやっぱり写真って面白いなってなったんです。文学少年だったから、三島由紀夫つながりから細江英光さんが好きだったんで、細江さんに選んでもらってなかったら、どうなってた事やら。


2011.6.6「開かれた写真集会議」より

自分が持っている感情で表現することしか出来ない

 

細江英公さんというと、ヴィンテージ、オリジナルプリントといった価値をいち早く日本で取り入れたり、デジタルの使用も早い段階から始められるなど、写真媒体へ柔軟な考えを持っている方です。柿島さんの考え方にも通じるものがありましたか?

 どうして服飾をやめたのかというと、表現をしたいというだけで手法は何でもよかったのかもしれない。写真自体は、僕は表現の可能性があるものとして見ていますけど、必ずしも写真でなくてはいけないというわけではなくて。だから、いろんな物にプリントしたりということに行き着いたのかもしれないですね。

表現したいことが先にあるということですけど、先ほどから身体と衣服、写真の多様さ、というのが柿島さんのキーワードとして出てきましたけれども、それでは表現をしたいことというのは、いつもどういうものなのでしょうか。

 僕が関西の大学を出た後、もう一度写大(東京工芸大学)に入り直して、本科ではなく別科という所なんですけど。ここは18歳の女の子もいれば、60歳のおじさんもいる学科でした。そこでどうやって写真を撮るかについて討論になって、僕が「自分が持っている感情で 表現することしか出来ない」って話をしたら、他の人達に物凄く責められた事がありました。そんな事で写真は撮り続けれるのか、と。


 思い返してみると、25歳ぐらいまで学生をやらせてもらっていたので、どこか批判的な精神が強くあったと思います。自分で写真を見返してみても、どこか斜に構えた、批判性を帯びた写真が多いんです。自分の今持っている考えとかを表現したいのは今も変わらなくて、でも、その批判精神に満ちた頃の写真とは、やっぱり若干は変わってきているのかな……

それはどのように変化したのでしょうか?

 具体的に言うと、ただただ批判的な感情を表現していたのに対して、客観的に見られるようになったというか、斜に構えていたところが少しフラットになれたというか。良いのか悪いのかわかりませんけど、ちょっと心に波がなくなったのかもしれません。

必ずしも批判的な形でなく、別のコミュニケーションの方法を長い時間の中でみつけられたのでしょうか。

 そうなのかな。なかなかこういう風に言葉で話し合って、ここがこうですねって言ってもらう機会はないけれど、なるほど言われてみればそうかもしれません。


BRAINSTORMING vol.1「人間」より

紡ぎ出すという過程

「ブレスト」は「ひとつの問いに写真で応える」とコピーがありますが、写真制作、作品を組み立てていく上で言葉は重要ですか?

 重要というか、必要だとおもいます。やっぱり紡ぎ出すという過程で言葉が出てくるのは確かです。

 ”写真を紡ぎ出していく”という印象はあります?

 僕の制作の方法は、そういった所は大きいですね。

言葉と写真の違いというのをお伺いしたいんですが、言葉と写真を比べたときに、写真はどこまで有効かという点についてのお考えはありますか?

自分の写真がどれだけ人に反応を及ぼすかということを考えると、比較的写真には曖昧なところがあると。そこが逆にノビシロで、同時に可能性が開けているんだと思います。

それは、見る側が読み込む際に生じるノビシロということですか?

 そうですね、それが曖昧であるがゆえに保証されていると。自分がこういいたい、こう批判したいというのがあったとして、見た人が自分と同じくらい「そうだそうだ」って言うのだけじゃなく、何か違うことを抱いてもらいたい。何か別の事を感じてもらいたい。そうなってくれたら一番うれしいですね。

今回のブレストVOL.1では、「人間」というテーマを与えられ、撮りおろされたということですが、ご自身の作品について少しご説明していただけますか?

 はい。人間というテーマの時点で最初に思いついたのは「生まれ滅びるということ」。それを僕の穿った視点で表現しました。その時の気分というのはあるとおもうんですけど、人間の精神という部分を考えたときに、物悲しいというか、どこか精神自体の空虚さというのを思いました。

ブレストに参加される目的、理由を御聞かせ下さい

 単純に面白いと思ったんです。僕が「少年ジャンプ」世代なので、みんなで集まって「少年ジャンプ」作ろうというのが一番最初に浮かんだんですね(笑)
オレが鳥山、オマエが荒木って。
 それを写真で出来るならこれほど面白い事はないと。それと、やはり形に残したいという単純な動機からですね。ですから、僕が思っても見なかった(さらに良い)方向に向かっていくのではないかと思います。

最後にvol.2に関わらず次作についてお話伺えますか?

 今も自分の思っている事だけでしか作れないのですが、マイノリティーという概念について考えています。

 

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柿島 達郎  KAKISHIMA Tatsurou


2005年 東京工芸大学写真別科修了 / 広告撮影会社入社
http://www.pointer-e.com/

 

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11.05 BRAINSTORMING柿島達郎インタビュー

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